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公州市寺谷面雲岩里。大きく美しい山という意味の泰華山には、曹渓宗第6教区本寺である麻谷寺がある。麻谷寺は、百済武王(640年)のときに新羅の高僧慈蔵律師が創建した古刹で、多数の宝物を保有する。大光宝殿の色褪せた丹青が古い寺の佇まいを感じさせる。大光宝殿と大雄宝殿の隣には、白凡金九が泊まっていた「白凡堂」があり、松林に吹く風の香りに誘われて「白凡瞑想路」をのんびりと歩いたり登山をしたりしても良い。
韓国の伝統的な建築物の特徴として、屋根の線が美しく、建物全体から自然な美しさが漂っているということがよく挙げられる。また、綱をそっと垂らしたような自然な曲線を描く大棟や、軒の先端をかすかに上に上げた降棟と隅棟の形は、女性のポソン(靴下)のつま先のラインに比えられる。細い田舎道を通らねばならないが、公州韓屋村には家族向け宿泊棟が集まっていて、韓屋ならではの趣をたっぷり楽しめる。
公州の歴史が一目でわかるテーマ博物館で、百済第25代武寧王の魂が宿る武寧王陵室と、忠清南道地域の旧石器時代から統一新羅時代にかけての歴史文化に触れられる先史古代文化室がある。公州市一帯で出土した仏教遺物である大通寺址の石槽や西穴寺址の石仏坐像などは、野外展示場に展示されている。斯麻王ドゥレギル(博物館の裏の散策路)を登ると、熊津百済時代の祭祀空間である艇止山遺跡があり、そこから公山城と錦江を一望できる。
宋山里古墳群は、熊津時代の百済王陵群であり、7基の古墳が整備されている。そのうち、武寧王陵は盗掘されていない完全な状態で発掘され、御陵の主と築造時代(525)が確認できた非常に珍しいケースである。
公州市錦城洞艇止山の丘陵地帯にある遺跡で、1996年の国立公州博物館の発掘調査で百済時代の国の祭儀施設と推定された。艇止山遺跡は、武寧王陵から出土した武寧王と王妃の買地券に記された申地、酉地の方向と一致しており、王妃の死去後、武寧王陵に合葬されるまで2~3年間安置されていた場所である可能性も提起されている。特に、建物の柱を支える礎がないことから永久使用の目的で建てられたものではないとみられる点や、大壁建物跡で氷を保管していたと推定される点などもその可能性を裏づけている。
公山城は、熊津時代(475~538)に百済の王宮であった山城であり、錦江(クムガン)などの地形を最大限に利用して築造されている。発掘調査の結果、王宮跡や王宮付属施設跡、百済時代の土城などが見つかっている。
金鶴洞住民センター(町役場)の前に、生態公園の方向を指す熊の家族が描かれたかわいらしい里程標がある。金鶴生態公園の駐車場の下方には湿地が造成されており、上方には2つの水源池がある。その駐車場の近くには小さな野外ステージがあり、様々な文化行事が行われている。また、水源池の展望台から眺める舟尾山は、水と山が調和し、一幅の東洋画を見るようである。金鶴生態公園からトゥリ峰や烽火台につながる公州大幹のトレッキングもおすすめだ。
公州中洞聖堂は、西洋中世のゴシック建築様式で建てられた公州地域最初のカトリック教会である。1898年にフランスの神父ギナーン(Guinand, 陳普安)が初めて韓屋のカトリック教会を建て、そこを本格的な宣教の基盤にした。その後、1937年に崔宗哲(マルコ)神父が建築したこのカトリック教会は、中央玄関の高く尖った鐘塔、アーチ型の門と窓、内部中央の長椅子や廊下など、古典的な美しさが漂っている。済民川に沿って班竹橋まで歩くと、中洞交差点にたどり着く。