崇林寺
崇林寺は、新羅景徳王(742~764)のときに真表律師が金山寺と共に創建したという説があり、「益山誌」には高麗忠穆王元年(1345年)乙酉年に行如禅師が再建したと記されている。益山地域を代表する寺院で、現在、銘文瓦が保管されている。朝鮮時代、壬辰倭乱(文禄の役)で焼失して普光殿だけが残ったが、その後1697年(粛宗23年)に雨花楼と霊源殿を建て、後に羅漢殿を設けた。そして、1987年に住職として赴任した智光僧侶が梵鐘閣、山神閣、一柱門寮舎の安心堂、解脱橋、洗心橋を新たに造って現在に至る。